自助グループの功罪
サロンを開く時、一つ考えていて止めた事があります。
自助グループの作成です。
自助グループというのは、アルコール依存症やその他ギャンブルやインナーチャイルド等、嗜癖行動者やアダルトサバイバー(過去の児童虐待などを経験して成人した方)が集まり、各々の体験を話して傷を癒していく、という趣旨の匿名のグループです。
断酒の会(アルコホリークスアノニマス、aa)等が有名かと思います。
私自身がこのアダルトサバイバーであり、各種嗜癖行動を経験した事のある
(アルコールや買い物依存等)ので、都内ならばそういうグループも活発なのですが、
横須賀の地にはないので、あったらまさしく「自助」になるかと考えていたのです。
それで、実際そのグループに属していた事もあります。
参加して、それぞれに話をして、自分も話をしているうちに、ある疑念が湧いたのです。
『はたして、これは根本的な解決になるのか?』
『私の重い体験を、話す事によりただでさえ精神的に弱っている方たちに追い打ちをかけないか?』
私は親とは絶縁しています。
必要があれば記事にするかと思いますが、要はそこに至るほど幼少期がめちゃくちゃだったのです。
で、自助グループ内でもその悲惨さが他に追随を許さないレベルでした。
確かに、客観的に見て自分が悲惨であった、という学びはありました。自分で自分を早急に癒していく必要性が、リアルに芽生えたのは大きな収穫です。
しかし、自分でも持てあます莫大な負を、見ず知らずの他人に加減もせずただぶつける(話す)だけで、解決に至るとはどうしても思えなかったのです。
その後、スピリチュアルな道に至りプロとなったわけなのですが、スピリチュアル的に自助グループを見てみると、やはり当時の直感が正しかったのです。
エネルギー的に見ると、自助グループで話すという行為は、当人の負やエネルギーと言ったものをその場で共有する行為です。
一瞬、話した本人はエネルギーを分けるので楽になります。効果があるような実感がします。
しかし、肝心の根本的なアプローチ部分がその場でできないのです。ただ分けるだけ。しばらくするとまたそのエネルギーが戻ってきてしまいます。
現実的に言えば、トラウマそのものに対して何もできていないのです。
そして、それにプラスして分け与えられてしまった他人のエネルギーも一緒に持ってきてしまいます。
したがって、自助グループというのは自分の抱えているものを手放す、というメリットは確かにあるものの、スピリチュアルな観点としてはデメリットがどうしても無視できないので、私のスタンスでは行わないことにしました。
今の私の見解としては、やはりヒーリングが一番…と考えております。