自分の闇を受け入れる方法
自分を識る、というのは割とスピリチュアルの世界ではよく言われております。
これは自己受容とか、自己愛とか、そういう事に使うわけですね。
ただ、人間「ああこんなに駄目な自分でも愛しい(ハート)」とは、なかなかストレートにはいかないものです(例外もいますが)。
特に日本人は謙遜の文化がありますので、やっぱり、たとえば容姿をほめられたとしても
「○○ちゃんかわいいねー」
「うん、ありがとう!自分でもそう思うしよく言われるんだ!」
と、ストレートに自己肯定する人と(ここまで極端でなくても)、
「ええー、そんな、○○ちゃんの方がもっとかわいいよ」
という自分を卑下し相手を持ち上げる人間だと、どうしても後者の方が好感を持たれがちです。ちなみに自己愛を確固として持ちながらもスムーズな人間関係を保ちたいならば、
「ありがとう、そういう風に言われてうれしいな!○○ちゃんもかわいいよ!(心の声…自分でもそう思うしよく言われるし、○○ちゃんの事はどうでもいいけど)」
と言った具合にしておくのがベストです。別に嘘を言っているわけではないですよ、お世辞です。そして自分も自分大好き!というのは何も逐一周囲にアピールせず、自分自身がしっかり把握していればいいのです、アピールせずにいられないならば、むしろ愛せてません。
話が逸れました。周囲に適合しようとすればするほど、要は私たちは自己愛を認識しづらく、卑下しやすい環境にいる、というわけです。
これをいきなり『受け入れよ!』というのはやはりハードル高いです。棒なしで棒高跳びするようなものです。上記の例外というのは、身体能力があればできるかもしれない、というわけですね。
なので、このハードルを下げるためにハイアーセルフを利用するというのが一つの手法として役立ちます。
ハイアーセルフは、本来無限の愛を持つ存在です。いつも共にいる、もう一人の自分です。この高位の自分に、自分を愛してもらうのです、べったべたに。
より正確にいえば、もうすでに愛されています。愛してほしい、と頼まずともすでに自分の想像しているはるか上で、愛されていると思ってください。
…が、普通の方はそういうの、よくわかりませんよね?今この文章を読んでいる方で、ハイアーセルフがうんうん頷いているなあ、という方はこの先読まずとも大丈夫です。
そんなときに、あえて手順を踏んで、ハイアーセルフに『愛してほしい』とお願いするわけです。
ですが、コツはここでいったんハイアーセルフである事を忘れること。
そういったスピリチュアルな存在である…と認識してしまうと、何やらいろいろ考え始めてうまくいきません。
自分の理想の恋人が、目の前にいるとイメージしてください。
一ミリも妥協しない理想の外見、理想の性格です。もうどこまでも自分に優しいです。そしてどんな姿を見せても否定しません。必ず褒めてくれ、愛を表現してくれます。いいですか、この恋人を、『あなた』は絶対に信用してください。大丈夫です、『あなた』の想像です。あなたの望まない行動は『絶対』にしません、当たり前です、理想ですから。
スエットでだらだらしている姿見せたら幻滅されちゃうとか、すっぴんみせたら引かれるとか、そんな心配無用です。だって理想の相手で、そのままの、今のありのままのあなたを愛している存在ですから!
…この理想の存在をイメージして、しばらくコミュニケーションをとる練習をしてください。いろいろ方法はありますが、いまいち脳内だけでイメージしづらいならば、手紙形式でやりとりしても、味があると思います。
ここで気恥ずかしくなる方、そんな事ないよ!と気持ち悪くなる方、理想の存在との関係がうまくいかない方は練習が足りません、自己愛が足りません。日々練習あるのみです。いちゃこらしまくってください。いいですね、楽しい練習ですね!
このイメージングがうまく行く頃には、自分を識る、という作業がうまくできるはずです。
具体的な方法は、自分の好きなところ、嫌いなところを数十から数百あげていく、といったものがありますが。
なぜか?ここで理想の彼or彼女との生活が生きてくるわけです。
自分の好きなところ…彼or彼女が言った事を思い出してください。始終自分を否定しない存在との生活を長い事してきたわけです。その存在があなたを褒めた言葉は、数え切れないほどではありませんか?
そして、自分の嫌いなところ…自分にもこんなところがある、とその存在に語りかけたことはありませんか?そして、相手に赦してもらっていませんか?そうです。それが自分の内側を見る、ということです。
そして、目をそむけてしまうネガティブな面でも耐えられるのは、そばに自分の事を無限に愛してくれる存在がいるからです。どんなに自分が罪深くても、それを許す存在が傍にあるから、どんな罪も認められるのです…責められませんから。
先ほども言いました。彼or彼女はだらけてようがすっぴんだろうが、長く共にあるうちにそれどころかもっと汚くろくでもない面をあなたは見せていたはずです。それでも、許してくれていませんでしたか?
そう、どんな自分であっても受容してくれる存在が自分の中に存在してくれる…だからどんな自分でも大丈夫。
そこに気付くころには、理想の存在もまた、自分が作り出した一部であった事、そしてハイアーセルフであった事を思い出してください。
…一例ですが、こんな風に自己受容をしていく方法があるわけです。