祈りと弔いの違い
首相の靖国参拝のニュースを見ていて、海外の反応も見ていて「あれ?」と思いました。
なんか、言っている事がそれぞれずれているような…
しばらく考えていたら、多分こういう事だろうな、という結論に至ったのでシェアします。
日本人として、靖国神社が戦没者の「ため」の神社、なのでそこに行くのは墓参りのような感覚に近い、というのは良く分かっているのですが、国外からしたら宗教施設は祈願しにいくところなので(キリストを供養するために教会に行く、とは聞きません)神社→宗教施設→祈念(願掛け)→そこの祭神は戦没者→戦争したいんじゃね?けしからん!というような論法になってしまっている(もしくはあえてしている)んではないかな、と感じました。
たとえ神社という宗教施設であっても祈りや願掛けのためではなく弔いのために行く、というのを理解できない土壌が国外にはあるのかもしれません。
日本人がお墓に願掛けに行く、と言われたら奇妙な感覚がするのに近いかも。
参拝、という言葉を英語に直すとworshipという言葉になるようです。やはり教会の礼拝や英雄崇拝という言葉を訳す時にも同じ言葉が使用されるようです。
確かに神社に参拝するので間違ってはいないのですが、英語圏では同一の言葉を使っている以上「お祈りにいく」と解釈されても仕方ありません。靖国参拝に関してはむしろ葬式とか葬儀とかの意味合いのfuneralの意味合いの方が強いかと思いますが、葬儀そのものでもまたない、という…
一周忌とか三周忌とかの風習が国外にあればまだ分かりやすいかもしれませんが。
「参拝」と「礼拝」と「崇拝」はやはり日本語としては別物ですよね。厳密にいえば日本語は同じ意味、違う語句というのは存在しませんから全て別の意味なのです。
キリスト教の方にキリストを供養する人はいないのですか?と聞いてみたいですが、宗教の地雷を踏みそうで恐ろしいので実行には移さない事にします(笑)でもキリストを弔うために行くようなものだ、と話せば靖国参拝の意味も分かってもらえると思うのですが。
日本の神様は八百万です。日本人の方ならば今更言わずともよくご存じだと思いますがそんなにいれば得手不得手もあり、神社とはいえ崇徳天皇のように怨霊を鎮めるために建てた、という鎮魂のための神社も存在しています。
ちょうど初詣の時期ですので様々な神社にお参りされる方も多いかと思いますが、由来やどういった事が得意かを事前に確認してからお参りされる方がそこの神様も喜ぶと思います。
諸外国との誤解もいずれ解けるといいんですがね…