進撃の巨人に見る罪と罰
※この記事はマンガ「進撃の巨人」に対してのストーリー上のネタバレがございます。11巻および連載をご覧になっていない方はご注意ください。
因果応報、という言葉があります。
悪い事をすると、自分に帰るというものですね。
それについて、興味深い展開が漫画でありましたので、ご紹介しようと思っております。
まずはこちらのシーンをご覧ください。(進撃の巨人 第46話、第48話より)
エレン(黒髪で怖い顔で怒っている方)が被害者で母を殺され、ライナー(白髪)、ベルトルト(黒髪でちょっと涙目)が加害者でエレンの母が殺される原因を作った人物です。
以上のシーンは、目を背けがちで、なおかつ非常にリアリティあふれる社会の現実を描きだしています。
つまりは、「加害者に対していくら怒りをぶつけても失ったものは取り返せない」
そしてまた「加害者自身にも犯した罪は償えない」
という事です。
因果応報が確かならば、今頃加害者は死んでいるか、死ぬほど苦しい目に合わなくてはならないでしょう。しかし、この時点ではすくなくとも死んでもいませんし被害者が溜飲を下げるような事にはなっていません。
このような事はフィクションに限りません。西原理恵子の漫画(たぶん「できるかな」か「鳥頭紀行」だと思いますが)殺人で服役している方に取材された事があるそうですが、殺した人間が化けて出る、等と言う事はないと言っていたそうです。
それでは、因果応報なんてない?
いいえ、私はスピリチュアリストとしては「因果応報」そのものは存在していると考えています。
より厳密にいわば、物理で言うところの作用に対しての反作用、と表現する方が近いです。実はヒーリングに対してもその反作用は起きてはいます。ヒーラーが体を壊しやすい、という話をスピリチュアルがお好きな方は聞いたことがあるかと思いますが、これは反作用をうまく処理できなくて起こる場合もあるのです。ヒーリングに対して対価をいただく、という行為も実はお客様への反作用を防ぐための行為でもあります。お客様ご自身が気づかなくても、ヒーリングというエネルギー的に劇的な変化を起こす作用に対しての反作用が起きた結果、よくない影響が発生するのを防ぐ意味合いもあるのです。無料でヒーリングし続けられたならばいいのですが、そうすることによって結果、お互いに悪影響があっては意味がありません。(念のため申し上げておきますが、現在募集中のモニターは、私自身の研鑽が主目的であり状況が異なりますので大丈夫です)
重要なのは、「罪に対する罰」と「因果応報」は別なものである、という認識です。
それに第一、罪に縛られるのであれば罪のない人間なんていないはずです。聖書の中で有名な一節ですが「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」とイエスが言ってだれも石を投げるものがいなくなった、という話にもあるとおりです。ですがそれで因果応報が働くならば人類は今頃死に絶えているでしょう(笑)そして、何十万人を殺す独裁者ならば、何十万回殺されるのでしょうか?しかし人生に死は一度きり。必ずしもそうはならないのです。しかし、自分が何か行動した事自体には、何かしかの返しが実際に存在するのです。
ですから、不必要な罪悪感は持つ必要もなく、また目の前に起こる事に対して理不尽と思う必要もないのです。まあさすがにそうは言っても納得しがたいのが人情ではありますが(笑)特に前世で何かしたから今世悪いことが起きている、なんて言われても前世の事なんて覚えてないですし(笑)
そこまで達観する必要もないのですが、犯した罪というものは、自己判断で償う事ができるものではなく、反作用という形で自然と起こるものと私は考えています。あのころにやったあの罪に対しての贖罪、と思って行動していると、的外れな結果に終わる可能性があるのです。
ただし、エネルギー的な作用反作用の法則を利用して罰というのを弱める事はできます。これがいわゆる「善行」と言われるものです。特に何かのため、というのではなく純粋な善行。これこそが、結果的には一般に言われる「贖罪」というものに近いのではないでしょうか。
罪と罰と因果応報の違い、おわかりいただけましたでしょうか。