恋に落ちたら、しょうがないんじゃない?
あなたは、不倫や二股は肯定派ですか?否定派ですか?
私は、悪ぶるつもりも偽善者ぶるつもりもありませんが「肯定派」です。
というか、まあそういう事も人生の中では起こるよなー仕方ないよなー、という感覚です。その時々の相手によって許したり別れたり、対応を決めるんじゃないかな、と思うのです。いもしない仮想敵に対して自分はこう、と今断定するのも妙な話です。
ちなみに浮気されたりした事もありましたが、最終的に戻ってきた経験しかないから悠長なのかもしれません。男ではないのでここらへんの心情はよくわかりませんが、なんか「なんで浮気したの!?」とか「許せない!!」とか相手を責めたり束縛しようとしたりすると男の人って逃げちゃうようですよ。
ま、私が責めないのは「もう相手に興味がない」ってことなんですけどね。ひょっとしたら責めてる方が、愛情あったかもしれませんね?
人間が、他人に対して「いい人だな(人がいい、という意味ではなく)」と思う事自体はごく自然な感情じゃないでしょうか。だって「男性だな」「女性だな」「怒りっぽいな」「おとなしいな」とか、その人に抱く印象の一つとして「異性として好み」というものが湧いてくるのは、「このリンゴは赤い」なみに当然にあり得ることです。
印象としてそう思う、というのは本能的であり感覚的であり、恋人や配偶者がいる、というのは後付けの文化的なものです。そして人間の関係性に、こうであってはならない、というものはスピリチュアル的には存在しません。西洋、東洋問わず神話なんか読むとかなりしっちゃかめっちゃかです。神ですらそうなのに、人間だけ許されない、というのもおかしな話です。
人間とはそういう生き物である以上、身分が既婚者だとか恋人がいるとか、そういうものを乗り越えて恋愛感情を抱く、というのはごく自然な事です。
とはいえ、人間は結婚やら恋人やらという制度のある文化的な生き物でもあります。その文化の中にいる以上、ほいほいと浮気するわけにはいきません。
ではどうしたらいいか?そこのすり合わせはただ一つしかありません。
「ばれるな」
もうこれに尽きます。
配偶者も恋人も大事。でも両方愛している。だったら根性入れて隠し通すしかありません。女性は割と得意ですが、男性は本気で隠し通してください。念には念を入れて、それぞれの相手に対して身の回りの物すべて入れ替える、くらいの心意気でやってください(具体的な対策はネット等でどうぞ…)。
でも、それだけどちらも好き、という方はそんなに多くないんじゃないかな、とも思いますが。
よくありがちなのが、現状の配偶者や恋人に不満があるけども、関係を清算するのが面倒ないしデメリットがあるから、他の人間と関係してしまう。
これは、配偶者にも恋人にも愛のない行為です。大事にできないならできない方を清算すべきです。愛ではなくて情がある、というのならばその情で相手を解放するのが本筋です。相手だって新たなパートナーを見つけられるかもしれませんし。愛されていない人間とともに生きるなんて、つらいじゃないですか。まして利用価値があるからこいつはこいつで手元に置いておこう、なんてどれだけ卑怯なんですか。
そんな卑怯な関係性をだらだらと続けるから、因果応報とか罰があたったりするんですよ。