年をとることは、女(男)らしくなくなることではない
私が話をしていて、どうしても生理的に受け入れられない言葉がありました。
生理(月経)を、「オンナノコ期間」と言い換える事です。
しかも、私が「生理」と言うと、「オンナノコ期間!」と言い直させる人でした。
そもそもおかしな話です。生理という言葉自体、月経の隠語です。今となっては周知されていますがこの言葉が作られた背景が、月経というのは生理的なもの→生理、なのです。
つまりは隠語をさらに隠語にする、というわけのわからない状態です。公的な場で、生理休暇を「オンナノコ期間休暇」と言い換えよう、としたら『何このイタイ人…』ともれなく見られます。
さらに気色悪さを加速させていたのが、その方は40代後半の方だったからです。
どちらかというと自分の親に近い年齢の人間が、自らを表すのに「オンナノコ」という情景。
ちょっと想像してみてください。めちゃくちゃ気持ち悪くありませんか。
これは「お前年考えろよ」という表面的なことではなく、この言葉にはトラウマが透けて見えているのです。自分が昔の癖で(それでもどうかと思いますが)言うだけならまだいいのですが、他人にも強制させる。他人がそうでない事を許せない感情。内面のトラウマが騒いでいる兆候です。だってそれに向き合いたくないから見たくないんですもん。
ちなみにこれは、「若くないと女性ではなくなるから若くないとならない、そして性は可能な限り隠さねばならない」という2つの支配的な概念が表れています。今回は女性性、男性性について話をさせていただきます(性に関する事も書かねばなりませんねー)
男性も女性も、年をとると男性的、女性的ではなくなるのでしょうか?
女が40過ぎたらおじさんにシフトするのでしょうか?男性が定年迎えたら生理がくるのでしょうか?
そんなわけはないですね。
肉体の構造としての生殖器の衰えこそはありますが、それでも性別がなくなるレベルではありません(閉経するとか立たなくなるとかはありますが)。
単刀直入に言えば、男性も女性も若さに固執するのは、老いや死への恐れ以上に「性が失われる=自分の価値が失われる」、という恐れの方が強いからです。そしてそれを刷り込んだのは、ファッション雑誌等のマスコミです。後から刷り込まれたもので、それは本質ではないのです。
あなたは自分の両親や祖父母で、尊敬する人がいませんか?
近親者でなくても、目上の人間で、100%まるきりではなくても好ましい人物だ、と思う方はいませんか?
誰か一人くらいはいるはずです。そして、それこそが時を経ても、生まれ変わっても失われない本当の自分自身の魅力なのです。
どうか、誰かの思惑や表面的なものに惑わされずに、真の男性的、女性的であるという事は自分にとってどういう事なのか、を見つめてみてください。