依存と独立のバランス
人は一人では生きられない、真理ですね。
助け合って生きていく、これも正しい。
大昔ならば山できこりをしていても何とかなったでしょうが、何せ現代社会。まず山に住むにも住む土地は購入しないといけませんし、万が一孤独死でもしようものなら親戚やら行政やらがてんやわんやです。
かようにして頼りあう、助け合うのが現代社会ではあるのですが、これも行き過ぎれば依存になります。自力で自立できない人が出てきてしまうのですね。ニートや引きこもりというのも、ある意味時代の流れとしては存在して当然、というわけです。人との関わり合いが不可避であるにも関わらず、うまくいかなかった。そんな場合に出てきてしまうのです。
でも依存が悪いのか?これも必ずしもそうとは言えません。
ペット等がいい例だと思うのですが、彼らも基本的に生産性はありません。しかして一定数飼う人間が存在するのは、いてくれるだけでいいから。存在そのものを愛しているから生産性なんてどうでもいいのです。当事者間で誰かが我慢していなければ、どんな関係だっていいのです(これはちょっと不倫の真理にもつながっています)。
しかしてペットは概して人間より寿命が短いから何とかなりますが、人間の子供だとやっぱり現実問題困ります。親御さんでも『私が死んだら、この子はどうなるの?』とお悩みの方もいらっしゃるでしょう。
でも、スピリチュアル的にはそれで正しい場合もあるのです。親が旅立ってからの苦労を学ぶため、あるいはそれで生きられない事を学ぶため。そのためにその性格を持って生まれてきた、そんな事もあります。
じゃあ、そんな過酷な人生を出来れば歩んでほしくない…そんな時はどうすればよいのか。
独立心があればいいんですね。誰にも頼らない…まではいかなくても、基本一人で何とかできるようになる。そういう心があればいいわけです。
しかし、裏を返すとこれは『人間を信用していない』と言う事になります。誰も助けてくれない、誰も信用できない。だから一人で何でもしてしまう。行きすぎるとこれは愛のない人生になってしまいます。
何事もバランスではあるのですが、今の時代は独立というよりかは共存、男性性よりも女性性の方が優位に来ているかと思います。
その事を少し頭の隅においておくと、格段に人生が生きやすくなります。