まどかの罪、ほむらの救済(魔法少女まどか☆マギカに見る真理)

※この記事は「魔法少女まどか☆マギカ 本編および劇場版[叛逆の物語]のネタバレを含んでおります。ご覧の際にはご注意ください。また、できれば上記作品を視聴になった上でご覧いただければ幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いやー、衝撃でしたね、「魔法少女ほむら☆マギカ」


え、主役ほむらですよね?

私はほむほむ派ですし。ほむらの方が出番多いですし。映画見る前はほむらが死ぬの覚悟して行ったんですが、予想裏切って生き残りましたし。
本編見終わった後、私は爽快でした。「ほむら、よくやった!」って。拍手して大笑いしたいくらいでした(映画館だったのでやりませんが)。正直さやかが怒っているのは理屈では分かっても感覚的には理解できない。

 

これだけだと何のこと?となるのであらすじも含めて、順に記していきます。

 

まず、普通の中学生の鹿目まどかのところに、ある日暁美ほむらという少女が転校生としてやってくるところから物語が始まります。

そして、キュうべえという正体不明の猫っぽい生物がまどかの元にやってきて、「何でも一つ願いを叶える代わりに、魔法少女になってほしい(僕と契約して魔法少女になってよ)」と言ってくるのですが、実は魔法少女というのは高確率で魔女という人を殺す化け物になってしまうんです。それでも願いを叶えてもらう友人やら自分の都合を優先するキュうべえがやらかすやら何やらでしっちゃかめっちゃかになるんですが、最後はまどかは「生まれる前の魔女を消し去りたい、過去や未来や並行世界の全てから」という願いを叶えて魔法少女になってしまいます。

 

で、この願いが時間軸がまたがる関係で鹿目まどかそのものの存在が消えます。世界を構成する概念そのものになってしまうんです。存在が消える、という事は誰も覚えていないどころか文字通り『いない』事になっています。ただし、例外的にほむらだけはまどかの記憶を持っている。というのがTV版のラストでした。

 

ものすごく乱暴ではありますが例えると、不成仏霊を回収するこの世の誰もしらない神様、みたいな位置づけですね。

劇場版は、その後から始まります。

 

なぜかまどかやほむらや仲間たちが全てそろう日常。
誰もが幸せな日常。

 

この時点で死んだはずのキャラやらまどかやらが普通に出てきて大混乱するんですが、私はこの段階で半分くらい展開の予想がついていました。つまりは、これは誰かの見ている夢(まやかし)である、と。

 

なぜならばあまりにも全てが美しすぎるから。現実がそんなに美しいはずがない。

 

そして、概念としてしか存在しない『鹿目まどか』を含めて夢を見せることができるのは彼女の記憶を持っているほむらただ一人なのです。

そして彼女は、本来であれば『鹿目まどか』の願いによって本来魔女化しないはずの世界で、特殊な状況下におかれて魔女化しかけています。

 

でも仲間たちの協力でその状況を打破して、ほむら自身もまた『鹿目まどか』の願いという摂理によって救済されることとなりました。そしてそれは彼女自身の死であり、救済であるはずであり、ほむらにとっては待ち望んだ最愛の友人との再会となりました。

 

…が!

 

そこでほむらは死を拒み、救済を拒み、摂理を拒み、自身を魔女どころか『悪魔』と言ってもいい存在となりあまつさえ世界の摂理の一部である『鹿目まどか』、神とも呼べる存在の一部を切り取り、世界の一部を組み替える事に成功しました。

なぜ世界の摂理に対して一部でも叛逆することが、魔法少女とはいえ一人の人間にできたのか、ほむらは「希望よりも熱く、絶望よりも深いもの…愛よ」と言い切ります。ただ私はただ愛のみではなく、いくつかの条件がそろったからなしえたと考えています。

 

・直前に魔女化させられている際に呪い(絶望)を極限まで募らせている。(まどか消失後の世界で何回も狂おしくまどかを求めるほむらの描写がある、そしてまどかに救いを求められない=最愛のまどかに会えないという絶望)絶望=精神力=魔力とすると、ありえない魔力の状態になっている。

 

・ほむらの願いは「彼女(鹿目まどか)との出会いをやり直したい、守られる私でなく守る私でありたい」というものであり、後半の「守る私」という部分の願いが叶っていないため奇跡の力が働く余地があった。

 

・まどか自身が作中『みんなと会えなくなる状況なんて嫌だ』と発言していて、ほむらは裏切ることになってもまどかの意思よりも本音を優先すると、この際に決意していた。

 

ただし、ほむら自身もまどかの意思に、摂理に反する事に対しては罪悪感があり、それゆえに『悪魔』にならないと自分の願いがかなえられなかったのでしょう。ゆえに彼女のの人格が最終的にゆがんでしまいます(なんか異様にセクシーなんですけどね)。

しかし私は、この決断にまで追い込んだまどかが悪い、と考えています。

 

むしろ、ほむらは最後まであきらめず、どんな手を使ってでもまどかを救おうとしたんです。この行為自体に自分の利になるような邪なものなど全くありません。ほむらの純粋で貪欲な、狂気の果ての執着ではあってもまさしくこれもまた『愛』である、と確かに衝撃を受けました。

 

まどかは自分を最終的には大切にしなかった。その結果、代わりにまどか自身よりもまどかを大切に思っていた、まどかを愛していたほむらに手を汚させる事を決意させてしまうのですから。これはやはりまどかの罪と言えるでしょう。

軽々しく言えない問題なのは分かります。TV版のラストでさえ、時間がない状況下での苦渋の決断なのはよく分かっています。

 

それでも、やはり最善手ではなかったのです。

 

それに私は、やっぱり誰かに汚れ仕事をさせて自分だけ安穏と暮らす、なんて仕方ないと分かってもどこか負い目を感じてしまいます。ほむらはその負い目を見過ごすことができなかった。真正面から向き合った。そしてその結果、ほむら自身は救済を拒み続けもっとも相容れない者として最愛の者と対立する事になる。『もう一度会いたい』という願い一つが叶うのにあたって、こんな残酷な対価があるでしょうか。

 

私はやはり、その行為がどうしても摂理に反する、『魔』なるものだと思えないのです。

 

事情を知るさやか達を世界の改編のついでに消すことも、その意思があれば可能だったかもしれないのです。ほむら自身は予想外、というような言い方をしていますが冒頭の幻の時点でもさやかがいる所を見てもほむらはそれを望んでいた可能性は十分にあります。その部分を取っても、やはり利己的な部分が見当たらないのです。

 

ちなみに彼女のフルネームは「暁美ほむら」、「暁」「ほむら(炎)」…なんとなく明けの明星、ルシファーを連想させます(海外ではHomucifer(ホムシファー)、などと呼ばれているようですし)。キャラのビジュアルも黒~灰色系ですし。TV版の時点ではここまで考えてなかったようですが、ここにきて思えばこの展開も納得な感じすらします。

 

自分自身を大切にしない罪、どんな状況下でも決してあきらめない意思、善悪とは何か、摂理とは何か。

 

この作品を見ていると、そんなことに思いを馳せます。


たかがアニメ、されどアニメ。目の前の情報に対してどう読み解くか。常識の枠を超えて分析すれば真理はいつも身の周りにあります。


 

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